手帳とノートの両方を持ち運ぶのは億劫だ。
そんなわけで、手帳とノートを一体化させ、情報の一元化を図った。
自分でやってみた結果、メリットやデメリットの他、新しい気づきもあったので共有したい。
Contents
システム手帳は重くて持ち歩きに不向きだ
システム手帳はめっちゃ重い。
そしてかさばって、荷物になってしまう。
まず、マル子の特徴としては、メモ魔である。
いきなりすっくと立ち上がり、大判カレンダーを漢らしくびりりと破り取り、そのとき思いついたこととかもやもやしていることとかなんやかんやを書き出していくのが好きだ。

そんなわけで、我が家はリビングに、大きさの違うカレンダーが2つ重なっている。
一つは破ったらあかん、という本物のカレンダーであり、一つはマル子用の破ってよいよという上質紙カレンダーである。
意味不明だって?
私も自分でやってて意味不明だから、おそろいだね♡
ほら、思考の大きさは紙の大きさに比例するって言うじゃない?ね??
日常からそんなものだから、マル子の手帳も本当は大きな物にしたいし、なんなら家の壁一面に模造紙を貼り付けて自由に書き込みたい。
しかし、そんなマル子に友人は無情に告げた。
「それはすでに手帳ではない。
ただのホワイトボードである。」
真理。
まさに真理である。
模造紙を手帳代わりにはできないので、おとなしくあきらめた。
子供がお絵かきを楽しめるようになったら試してみたい。

さて、そんなわけで、マル子は手帳にいろいろ書き込みたい。
しかし、普通の綴じ手帳ではそんなに書き込むスペースがない。
かといって、システム手帳にそんなペースで書き込んでいくと、どうなるか。
そう、やたらと分厚くなり、持ち運びしづらくなる。
もはや手帳ではない。
控えめに言って、人を軽く撲殺できそうな鈍器と化している。
しかし、綴じ手帳のままだと、マル子のライフスタイルとはあわないため、仕方がない。
少々重くても、システム手帳を使おう。
そう思っていた。
「情報は一冊のノートにまとめなさい」を読んで実践してみた。
綴じ手帳はシステム手帳より使いやすい。
そう結論づけたことで、マル子の手帳迷子は、システム手帳によって落ち着いたかのように見えた。
しかし、マル子はすぐに物足りなさを覚えてしまった。
システム手帳にすると、インデックスが細かくされたことにより、情報の管理は確かにしやすい。
だが今度は、どのインデックスにもあてはまらないような自分の思考とかだらだらしたものが書きづらいのだ。
そんななか、この本を読んだ。
「情報は一冊のノートにまとめなさい(奥野宣之著)」だ。

此の本の内容を簡単にいうと、「ノート一冊にいろんな情報をいれることで、知的生産できるようになる」ということ。
この本を読んで、私は確信した。
ノートにはやはりノートの良さがあるのだ。
ルーズリーフのようにカスタマイズできないからこそ、情報は全てその一冊に詰め込めばよいというお手軽感。
その一冊を読めば必ず求めているものが書かれているという安心感。
まるで過去に戻ったかのように生々しい臨場感も味わえる。

ノート一冊に全て集約させるのは自由度が高いし、簡単である。
で、私は「ノートに全部を書いちゃうと、索引し辛いのがネックだわぁ」と思っていたのだが、この「情報は一冊のノートにまとめなさい」を読めば解決できた。
それについては、また記事を書いていこうと思う。
とにもかくにも、ノートを一冊にすることで、「知的生産」がしやすくなるな、と腑に落ちたのだ。
そこで、やはり手帳にこのノートの特性を活かせないかなぁと思ったのである。
ノート一冊に手帳機能もまとめたことで感じた弊害
ノート一冊に情報をまとめてみたものの、慣れないせいか使いづらい。
確かに、今まで「どこに書こうかな」と悩んでいたものが、全てノートに書けるようになったおかげで悩む必要はなくなった。
しかし、マル子のずぼらさだと、あとで索引しやすいように手を加える・・・ということが続かないのである。
さきほど、
>で、私は「ノートに全部を書いちゃうと、索引し辛いのがネックだわぁ」と思っていたのだが、この「情報は一冊のノートにまとめなさい」を読めば解決できた。
と豪語したのにこの体たらく。
マル子の書いたら書きっぱなしというずぼらさでは、なんの解決にもなっていなかった。
誠に遺憾である。

そして、「情報は一冊のノートにまとめなさい」の著書のように、「あれ書いたのは何日ごろだったなぁ」とか全然思い出せない。
せいぜい、「あれ書いたのは半年以内だったなぁ」くらいである。
また、カレンダーもノートに貼り付けて予定を書き込めるようにしたのだが、ノートの残りが少ないときに、「書き込みたいけどこれ書き込んじゃったら、今月のカレンダーを別のノートに貼り直さないといけない・・・それならこのくらい書かなくてもよいな」と、書くのをセーブしてしまうのである。
そういうことが続くと、マル子の脳は動きを止めるらしく、書き込みたいと思うことが一切なくなってしまった。
もはや、ノートを持ち歩かなくても問題ないくらいになり、まただらだらし始めてしまった。
本末転倒である。

あと、本当にこれは、いまさらの話になって申し訳ないんだが、
いろんな情報が一冊にごっちゃになっているのが、ちょっと気持ち悪い。
いや、これこそがノートに情報を集約させることの醍醐味なんだとは思っているけれど、やはり気持ち悪いのだ。
まるで、ゴミを分別せずにまとめてしまったような気分。
情報がゴミになるのか、リサイクルできる資源なのか、わからなくなったまま放置してしまいそう。
手帳とノートは一元化できるのかを「情報は一冊のノートにまとめなさい」を読んで試してみた。まとめ
そんなわけで、ノート一冊にまとめるのは、マル子には向いていないと結論をだした。
ノートに情報が集約するということで、知的生産ができる・・・という著者の意向に添えることはできなかった。
マル子には知的生産が向いていないらしい。
ちゃんちゃん。